mui
contact
  • TOP
  • ABOUT
  • WORKS
  • PRODUCTS & SERVICES
  • JOURNAL
  • NEWS
  • FAQ
  • CAREERS
  • CONTACT
  • Privacy & Legal
  • en
  • /
  • ja

JOURNAL

Report

無為自然であるとは – お茶体験〜詩作〜対話 “美しいビジネスとは” を通じて見立てる 1 day イベント 

Jul 12, 2022

mui Labが本社を置く京都「ebisugawa salone」にて開催したHouse of Beautiful Business Kyoto Chamber 2021では、昨年の「テクノロジーの佇まい」に続き、“mui”の語源となった「無為自然」 ~natural state of mind〜 の意味するところを、音楽やアート、ビジネスの面から改めて考える機会となりました。

テクノロジーが社会の中に実装されていく過程において、技術のブレイクスルーや新規性、またはその技術が実現する新たな体験や生活形態、それを実行する企業の自利ばかりにアテンションが向かった結果、現在私達が直面している生活習慣への弊害や心身への悪影響などが問題視されています。テクノロジーは発展途上です。あらゆる未来のシナリオがある中で、それらのビジョンに沿った多様なテクノロジーが今後も登場し続けます。そんな中、新たな技術が社会で実装される意味を考え、その技術が環境や人や生活様式などに与えるインパクトを踏まえ、意義のあるデザインを行うことが今必要とされています。House of Beautiful Business本体の「Concrete Love」でもその意義がさまざまな観点で議論されました。

mui Labでは、経済合理性を起点にしたテクノロジーのデザインによる生活習慣への弊害や心身への悪影響などを問題視し、より人と自然と調和し、人の暮らしをそっと支えるようなテクノロジーの佇まいを目指しています。その姿は一見、資本主義の向かう方向に逆行しているかのようですが、いつの時代にもぶれない、しかし、たおやかでしなやかな、見方によっては不完全な「侘び寂び」的視点を大事にしています。暮らしの中で日々触れるプロダクトやテクノロジーによって、「心の豊かさ」を享受できるような穏やかなテクノロジーのデザインを行なうことを命題としていますが、それらは、企業の存在意義において極めて重要なSDGsやサステナブルの本質的な意義を追求することにも繋がります。mui Labは、テクノロジーのある未来を美しいものであることを願い、人の心がサステナブルな状態を作り出していきたいと考え、対話を通じて議論を深め、何かの種をつかめたらと思い、今回のイベントを企画開催しました。

イベントの様子を動画でご覧いただけます

「道具はいつも有合(ありあわせ)にせよ」

ローカルイベントの体験は、茶道体験から始まり、詩のワークショップ、そして音楽パフォーマンス、対話とお食事という行程で行われました。

午前中は、130年続く紬問屋「廣田紬」の社屋のお茶室をお借りして、美しい庭を愛でながら茶の世界に浸透する時間から始まりました。お茶の流儀を通じて精神を鎮め、千利休が生み出したコミュニケーション装置としての茶室体験、その所作のデザインに込められた想いを感じていただきたいという思いで。

茶人のなかじ先生は、
「利休が言ったと言われていることが百首あるなかで、『茶はさびて心はあつくもてなせよ。』そして、『道具はいつも有合(ありあわせ)にせよ』ということがあるんですけど、つまり道具なんて別になんでもいいわけですよ。心が大事なんです。」と言いながら、お茶目なキャラクターで参加者の心をほぐすような特別なひとときを演出くださいました。

「自分への手紙を書くような詩の時間。特別な道具も特別な技術も必要とせずに、誰かにもらったことばよりはじまる、ちょっと静かな時間」

お茶体験が終わると、mui Labの運営するギャラリー「ebisugawa salone」に移動し、ランチを食べ、詩のワークショップを開催。ファシリテーターは詩人の三角みづ紀氏。三角さんは、手紙を書く機会が少なくなっている現代にあって、手紙を書くように詩を綴るワークショップを開催しました。

三角さんより参加者へ以下のことをお伝えされました。

「いつも身近にあることば。新聞でニュースを読んだり、インターネットで仕事のやりとりをしたり。眠るまえに読書をする方もいるでしょう。そんなありふれた存在ですが、手紙を書く機会が少なくなっている気がします。そこで、手紙を書くように詩を書くワークショップを開催します。まず、配布される封筒に短いことばを書いてください。それを他の参加者に手渡し、封筒のことばを使って、短い詩を書きましょう。これは、自分への手紙を書くような詩の時間です。特別な道具も特別な技術も必要とせずに、誰かにもらったことばよりはじまる、ちょっと静かな時間。筆記用具のみご持参ください。身近なことばから、自分の声を聞いてみましょう。」

参加者の皆さんは、真剣に書き、他の方の詩を真剣に読み、唸ったり、感動されたりいて、それぞれの想像力と創造力が交差する豊かな時間となりました。

「『silence_沈黙の窓』- 心の穏やかさは、静けさやミニマリズムに見出されるのではなく、一見、混沌のように見えるも、様々な要素が調和している状態にある」

午後には、ニシジマ・アツシ率いるサウンドアーティスト・トリオの村井啓哲、 Gak Satoが、音楽パフォーマンスを実施。

世界に影響を与えたジョン・ケージ(1912~1992)がその生涯にわたって創作の理念とした、[silence/沈黙の窓] をテーマに、トーク&ワークショップ、演奏を、ebisugawa saloneの全フロアーを使って演奏されました。mui Labが目指すテクノロジーのあり方に対する思想哲学とも共通点が多く、示唆に富んだ体験となりました。

ニシジマ・アツシ氏はこう話します。

「20世紀の音楽思潮に大きな影響を与えた作曲家、ジョン・ケージ(1912~1992)。彼は東洋思想の影響を受け、従来の芸術創造の目的やプロセスとは異なる個人の好みや意図にもとづかない音楽を模索しました。武満徹/作曲家との対話のなかで、以下のように語っています。「自然の営みも人間の社会も、結局はその偶然の出会いから成り立っているのであり、そこに作為や意図が介在しないとき、最も美しい出来事となる。音楽も同じで、個人の自我や作為によらず、音をあるがままに出会わせること、それが音楽の自然であり、自然の音楽なのだ。」彼の音楽思想や作品は、現在、我々が抱えている様々な問題にメタファーとして示唆を与えるものだと思います。」

ニシジマ・アツシ、村井啓哲、 Gak Satoの演奏では、「ジョン・ケージの「ヴァリエーションズIV」と「カートリッジ・ミュージック」の2曲を演奏いただきました。乾燥した花や草、貝殻など自然物を使い、金属などと触れ合わせて音を出すパフォーマンスを3人で行った後、三者三様に別れ、1Fではステンレスのお盆の裏で音を生み出す村井啓哲氏、2Fでは植物を奏で続けるGak Sato、3Fでは蝋燭の火を灯しながら音を作り上げていくニシジマアツシ西島氏。一同騒然としている中、[silence/沈黙の窓] は徐々に場の一体感をつくっていきました。

演奏終了後は、楽譜を元に解説いただきました。

ニシジマ氏)従来は、音を設定して並べて音楽を作るというのが普通なのですが、私たちはもう少し、一つ一つの意味性よりも、システムの構造自身に何かしらの意味を持たせたいと思っています。あとはそのシステムがどういうふうに音を選択するかというのは任せてしまう。システムを設計する時に、従来の合理性だけではなく、ケージの場合だといかに再現性が起こらないか、私の場合もできるだけ炎とか有機的なものをシステムの中に取り入れるようにしています。

Sato氏)無機的なものから、人間が作為的に音として出すときに、結局、有機的に変わっていく。なので無機的なものから始めます。

ニシジマ氏)こういった音楽というのは簡単に理解いただけないし、聞いていて楽しい、楽しくない、嫌いと言ったものと異なるので、聞き方のようなものを知らないと苦しい可能性もあると思います。

Sato氏)ケージに関わると常にそういう問いが起こりますよね。普通の楽曲が作ることができなくなるような。その世界に一度入ってしまうと、面白いけど戻るのが大変で、宗教的、哲学的な部分がある。なんでも答えを持ってらっしゃる。3分聞いて退屈だったら6分聞け。それでも退屈なら12分、24分、48分、ほら退屈じゃないだろう?的な。

ニシジマ氏)ちょっと無理矢理感はありますが。(会場笑)
僕自身も昔はこの音やこの音源じゃないとダメ、このシンセサイザーじゃないとダメ、みたいなこだわりがあったのですが、最近では、鳴ればいい、悪くなければいい、と思ってきています。自分側がどう思うか、どう扱うか、が重要になってきていますね。社会全体がどんどんサービス過剰な状態になっていっているんで、どんどん自分が何もしなくなって、実は楽をしているようで色々失っていっているような気がするんです。何かしらの負荷を受ける必要があると思います。宇宙飛行士でも筋トレして地球に帰還してから使う筋肉の衰えを防ぎますよね。サービスによって楽になっていくと、どんどん自分は選択しかしなくなる。それが危険だと思う。じゃあ、あなたはお金を出して負荷を買いますか?というとなかなか難しい。僕は、作品を作り始めて、ある時から、コンセプトを作品の中心に置くのをやめてみた。中心になるべきものならば、どこにおいても効果は出るはずだ。あえて中心を中心に置く必要はないのではないかと思い始めた。しかも中心は点ではなくて、こういった音符のようなもので。色んなものが集まる。この集まり方によって、ここにできたものが中心のように思えるようになってきた。それは庭の石組のように、一つ一つは石なので意味はなくても、組織として組むことによって何かしらのものに見せるということをやっている。それが僕はある時からしっくりするようになりました。
周りの環境をいかに設計し、その環境が真ん中に向かって働き始める。ある種、間接的に働きをもたらせるようなシステムにしたいと思いました。今日演奏した蝋燭もメロディーがあるわけではないが、ある種の流れができてくる。それはポジションが変わっていったり、蝋燭が変化していく中でどんどん何かが変わっていく。なので、最近は環境の設計と、関係創造(何かと何かの関係を作る)をテーマにして活動しています。

Sato氏)今日はテルミンを階段上に設置していたのですが、人が階段を上がってくるとアンテナのセンサーを通じて音が自然に楽曲の中に入ってくる。そういうふうに偶然性のある創造を楽しんでいました。

ニシジマ氏)今回の演奏のタイトルとなった『silence』はケージの著書にあり、ケージが大切にしている言葉です。ただ、『silence』を『沈黙』と言うと、そのままで芸がないな、ということで、窓を付けて『silence_沈黙の窓』というタイトルにしました。『silence』というと、静かで要素が少なくてミニマルで、といったイメージになりがちですが、本当のsilenceとはそうなのか?という問いが生まれます。パチンコとかに入ると、うるさくて吐き気さえもよおしますが、ずっと鼓膜に刺激を与え続けられると、ある時からうるさいと感じなくなる。変化量が少ないと、うるさいと感じない。でも途中でぶつっと突然切れたりすると、その後はうるさく感じる。なので、「沈黙の窓」とは”間”のようなイメージです。現在はアートでも音楽でも要素を減らしていくと、ある意味、理解・認識されやすいですよね。確かにそうだけど、その方向性は先がないな、と思っていて。「単純」という言葉が良いのかわからないですが、「ミニマル」とか、”要素を減らす”ということ以外のアプローチがないか模索中です。

Sato氏)混沌が大事ってことですかね。

ニシジマ氏)僕が家で実践しているのが、音楽が部屋を支配しないようにしている。音楽が部屋の中心になってしまうと部屋の響きが聞こえてこない。音楽も換気扇もタクシーの音も同じ音量で聞いていると、ある時、空間の音が立ち上がることがある。カフェでも静かな音楽でも、話し声をマスクしようとするような設計が多くみられますが、個人的には音楽を特別視しないで環境音と同じくらいの音量で聞いている方が気持ち良いというか、”要素の少ないミニマル”ではなくて、要素はたくさんあって変化に富んでいるが、空間に極端な混沌が起こらないと感じています。

mui Labひろべ)ルールがあるけれど、その中で全然違うものができてくる。色んな物を道具として使って音を出して、どれも音として存在して良くて、音に優劣はない、というのがメッセージとして届きました。また、音を聞くための”耳”をひらくトレーニングのような、今日の演奏から、日常の中でそれを経験できるんだな、と思いました。僕たちもプロダクトやサービスを開発する上でシステムのルールを作っているのですが、それをどう使うか、という家の中での想定をはめ込むことが大切です。情景に当てはめることが大切だと思っています。センサーを使って情報を取りながら、それを生活者にどうフィードバックしていくか。今日は音でそれを表現していただき、僕たちのやっていることと強い親和性があるなと確信しました。音を出すものそれぞれに本当に優劣がないこともわかったし、システムから解き放たれることを目指したいなと考えながら聞いていました。

「美しいビジネスとは?成り立たせるためのジレンマとブレイクスルーとは?」

この日の最後のプログラムはダイアログ/対話でした。

その前に、元アップル米国本社副社長 兼 日本法人代表取締役で現mui Labエグゼクティブ・アドバイザーの前刀 禎明氏に、株)和える代表の矢島里佳氏に、mui Lab代表の大木から、それぞれが美しいと考えるビジネスのアプローチについてご紹介いただきました。

対話を通じて「美しいビジネス”をどう定義するか?」さらには、「その定義された“美しいビジネス”を実行する際のジレンマやブレイクスルーは?」といった内容についてグループごとで話し合い、最後、発表をしました。その中の一部をご紹介します。

  • ボランティアやNPOは美しいが儲からない。大企業でも、ビジネスが美しく、且つ儲かるといった構図を実現するためには何が必要か?
  • 経済的に貧しくても美しい暮らしもある。そこには何があるのか?

という問いから始まったチームもありました。

美しいビジネスの定義という点では、仕組みや組織、そして働く側の姿勢や態度などにも言及されていました。

  • 仕組みの点で、株主至上主義の視点の変換やベーシックインカム制度、スカンジナビア半島のように週休3日制などもっと休みを増やす方法が必要ではないか?
  • 「美しい」とは、生活が調和していて仕事と分離していないこと。仕事にやりがいを持てることが大切で、組織側はそのやりがいを搾取しないことが大切。
  • 雇用者、被雇用者にかかわらず、達成感や感謝の気持ちを持つこと、失敗にめげないこと、想定外を楽しむこと。
  • 今朝体験したお茶体験を通じて、細かくデザインされた所作の裏には人への優しさや気遣いが埋め込まれているというところからインスピレーションを得て、思いやりをビジネスにも取り入れたい。
  • サービスをする側とされる側という二項対立ではなく、共により良い世界を作っていくというスタンスに立つことが大切。
  • 100人程度が美しさを保てる最適規模ではないか。各位の特徴やスキルを活かしあって支え合える、コンセンサスも取りやすい規模。ローカルに根付き、高齢者や子供の交流によって互いに刺激し合い、学び合うことが大切であるというお話もありました。
  • ビジョンをぶらさず語り続けることの大切さ、言っていることとやっていることに一貫性を持たせること。
  • ビジネス自体が美しい必要はなくて、それに携わる人たちの仕事や生活が美しいことが大切だ。


中でも際立っていたのは、こんな意見でした。

「僕は恐らくマーケティングのない商売が美しいんだと思っています。常連さんだけで成り立つ世界ということです。それはブランド的なことではなく、町の肉屋さん、パン屋さん、魚屋さん、八百屋さんのことで、それらはスーパーで売ってるものとは違うよね、って実感できるクオリティのものが小売店にいけば買えるような。僕が子供の頃は、(70−80年代)家の近所には魚屋さんは必ずあって、毎日、築地なり市場に仕入れに行って、それを小売してたはずなのに、今はそれをやっている人はかなり少なくなっちゃった。

100人が住む場所って数百メートル範囲の狭い区間で、そこに20−30世帯くらい住んでて、その人達が日々、消費するものを提供する小売店が成り立つようなビジネスモデルは大昔にはあったはず。そのキャパを超えたらまた別の小売店があって。むしろ、先出の渋谷のfood showとか、その他いくらでも例はあるけど、デパ地下に入ってるような小売店のようなビジネスモデルのほうが、正しいんじゃないかと思っちゃう。でも単価は高い。自炊は贅沢なんだな、と。人はより安いものを求めるようになってしまったのと、安いものがそこそこレベルが高くなっちゃったのが困ったもので。

「安い=まずい」ではなく、「安い=まずくない」〜OKレベル、という寂しい状況。イタリアだと、ミラノですら、スーパーで売っている食材でも、東京よりはレベルは高い。さらに、毎週2回近所で出る屋外のマーケットで食材を買っていれば、かなりレベルの高い食材が都市部でも手に入る。それに慣れているので、東京の食料品事情が残念なんです。これはミラノが特殊なのかもしれない。New Yorkで家にキッチンがない人は普通に居るし、電子レンジだけで基本食事は外食かケータリングかテイクアウトで間に合っちゃう。日本もそれに近いのか。選ばなければ、家で御飯作るより外食のほうが安かったりするわけだし。コンビニですら、とりあえず美味しいものが食べられる。都内では手に入らないけど、お取り寄せとかすれば美味しい食材は手に入る。でもちょっとハードルが高い。僕の最大の憂いは地元のスーパーで売っている食材のレベルの低さ。本当に小さいビジネスでも、毎日100個のパンを売れば回るようなシステムが正しいんじゃないかという話です。

実際、目黒区の学芸大にはパン屋もたくさんあって、ちょっと高いけど人も多いからちゃんと回っている。都市部だとありえるビジネスモデルだが、ちょっと郊外に行くとそうはいかなくなってしまう。スーパーの食材オンリー。そうなると食育の話になっちゃうのですが。まあ、高級品ということではなく、普通に正しい、美味しいものをちゃんと食べないとだめよ。って、そういう話です。」

「植物と食物のはざま」をテーマに野草を食す

対話の後はお楽しみのディナーです。シェフは田代理恵さん。三重県の「ちそう菰野」というレストランのシェフをされていた方です。今回のテーマは、「植物と食物のはざま」と題して、植物なのか食物の間のような野草をメインに、感性豊かな食事を振る舞っていただきました。

今回のmui Labでの集いでは初めてお会いされた方々も多々いらっしゃいましたが、皆さん、思い思いに食事と会話を楽しまれていたようで、セレンディピティが繋がり、さらに「美しいビジネス」についての洞察をヒントに新たな取り組みなども生まれそうな予感がしています。

参加者からのご意見

<一部抜粋ご紹介>

Q.「美しいビジネスを目指すならば何を大切にされますか?」

静止した”もの・こと”と捉えるのではなく、”動態”として時間的に捉えることが大切。お客さんと”理”を以って”美”なるものを”動態”として関われれば、社会的にも貢献できるのではないかと考えます。

Q. 今回のイベントを体験していかがでしたか?
  • 総じて全てのコンテンツが有機的に繋がっていました。いらっしゃった方やイベントの内容は、予想を遥かに超えてよかった。整理されたものより渾沌の中で手探りしながら感じてもらおうとしている姿にまず強い共感を得ました。私達も商売の中で啓蒙活動やらイベントやらを死ぬほどやりましたが、今回は良質なコミュニティへの課題提起があり、勇気を与えられたのではないかなと。僕らもこんなコミュニティを作って行こうと意思を新たにしました。
  • お茶の世界から始まり、律する中にある美しさを感じ、一方でそのルールに縛られない世界があり、そしてジョン・ケージの世界観。ここにも、同じ世界が存在してました。始まった瞬間は、え?から始まりこれって即興?と思い、フタを開けたらルールが有る。でも全く同じ時間は作れない。総じて、今をどう生きるか、楽しむか?という問いを、正解なんかどこにもないんだよと。これはmui Labのエグゼクティブアドバイザーの元アップル代表の前刀さんもいわれていた事にも共通してました。muiの考えに共感した仲間と共にもがいてる姿がとても美しく感じ、色々思い出す事が出来ました。さらにはmui Labという社名が物語る、会社ではあるが実装するまでは実験を繰り返す、実験室でありたい、と考えている社名なのかなぁと、勝手ながら共感しています。
  • 様々な人とお会いでき、大変貴重な場でした。また、美しいビジネスについてのディスカッションはとても良い時間でした。
  • muiの世界観に触れる素晴らしい一日でした。特にあのフランクなお茶の席はとても楽しかったです。夜、muiのメンバーや支援者の皆様とお話しできたのはとても良い体験となりました。
  • mui Labでは、毎回、人生を変える出会いや体験があり、生き方を見つめ直すことになってます。感謝しかありません。なにより参加者の人柄が良く挑戦者ばかりでとても素敵な空間です。
  • 資本主義に両足を突っ込んでしまった身としては、それぞれのプログラムを通して、片足を沼から引っこ抜くような視点の広がる体験ができました。
  • 初対面の方が多いなかで、同じ温度を持ったひとびとが集まっていて驚きました。中心にmuiがあるからこその空間だと感じました。
  • 異業種な方とのつながりも増えて大変有意義でした。


Q. 特にどのコンテンツが良かったですか?
  • 対話の時間が良かったです。他の参加者の考え方を深く知ることができました。
  • お茶体験で参加者と仲良くなれ、音楽パフォーマンスで感性と理論を行ったり来たりできて良かったです。
  • 茶事におけるプロトコルは、改めてその大切さとそれを崩す新鮮さを感じ、美しいビジネスにていての対話は、皆さんの観点を通じて、ビジネスと美しさが相反しないと信じる勇気を得た。
  • お茶体験では、知らない世界を垣間見ることができ、大変貴重でした。伝統をアップデートさせて伝えていく大切さを実感いたしました。《silence/沈黙の窓》では、リラックスしつつ、実に繊細で技巧的な音楽を体感しました。
  • お茶や対話、食事を通じて伝統日本文化と最先端技術の両立について考えられました。


Q.「美しいビジネス」をどのように定義されますか?
  • 豊かなプロセスによるアウトプットの最適化(星座)
  • 価値の循環が広がっていくビジネス、正当な対価が循環し、相互に尊敬を持ってお付き合いできる関係性
  • 相互作用、自律、生命を感じるかどうかです
  • 勝つものがいたら負けるものがいるというシーソーゲームではなく、足るを知り、利潤が循環する仕組みづくりや仕事
  • Social-goodであるよりはPlanetary-goodであるようなものを想起しますが、果たしてそんなビジネスが存在しうるのかどうかは難しいところです。
  • みなさんのお話を聞いていて、どのような目的があるにせよ、「自身の仕事を愛している」ことが美しいのだと思います。
  • 美しい生活を成立させるためのビジネス
  • “美しい”という言葉は、本質的にはとても多義的で抽象的ですね。もし”ビジネス”=サービス(客に対して一方的に与える)であるならば、”美しいビジネス”という言葉には少し違和感を感じます。 ”ビジネス”とは何かを知りたいですね。あえて言うなら、「美しいビジネス」とは本質的な”理”に適ったビジネスでしょうか。


Q. もしその美しいビジネスを目指すならば何を一番大切にされますか?
  • 誰と、なぜやるかを、言葉にならなくても腑に落ちた状態ではじめる
  • 対峙するその瞬間、世界中の誰よりもあなたのことを考えているという姿勢
  • 身体性です
  • どのくらいの時間軸でそのビジネスが存在しうるか? 100年の時間軸で、自身が存在しなくても生き続ける普遍性
  • 脱成長と倫理をhuman-centricな形ではなくplanetaryなものとして重視したいです。
  • 先人達が守ってきたものを次の世代へとつないでいくことを大切にしたいです。
  • 情報技術によるスマート化、場所や時間からの解放と、そのカウンターとしての豊かな現実「いま、ここ」の追求。
  • ”美しい”とは何かを本質的に説明できるわけでもないと思います。 ”風景”とは何か。と問うことと似ている気もします。風景を構成している要素を説明しても、それが”風景”を説明していることにはなりません。これは芸術においても同様です。「好き/嫌い」「きれい/汚い」「かっこ良い/かっこ悪い」「気持ち良い/良くない」・・・そうしたはっきり認知・認識しているものと”他の領域”に存在しているもの。矛盾や相反するものがうつろうように共在している。そのような有機的で動的な状態・意識が”美の領域”であり、その領域には必ず”理”がはたらいていると個人的には思っています。それらを本質的に理解するには要素還元することなく、ものごとの全態(造語)を捉える必要があると思っています。なんというか、静止した”もの・こと”と捉えるのではなく、”動態”として捉えるというか、時間的に捉えることが大切だと思います。お客さんと”理”を以って”美”なるものを”動態”として関わる。そんな方法が見つかれば、社会的にも貢献できるのではないかと考えます。最後まで抽象的で申し訳ございません。

後記

コロナ禍以降、急速に人類の歴史に変化が起きていると感じます。パーパス経営や本質的なサステナビリティを求めて、企業、個人が日々のビジネスや消費行動を考える流れがきています。

ニシジマアツシ氏が話していたように、組織や個人の意図や意味性を中心に置くのではなく、意図を超えた何かを抱擁し、委ねることが大切なのかもしれません。多様なものが関わり合った時、または集団で生きる場所には、一見、混沌とも見えるけれども、調和した心地良さがあるのではないか。それがニシジマ氏らが「silence/沈黙の窓」を通じて伝えたかったことなのだと感じました。

人間らしい暮らしを実現するためのテクノロジーを実装するmui Labとしても、テクノロジーの意味性や我々の意図を超えた何かにどれだけ委ねられるか、そういったチャレンジをされているかのような、大きな示唆を得る機会となりました。

トークセッション「対話 – Wired 日本版編集長 松島倫明 x mui Lab「鴨川をヒントにデジタルテクノロジーと人間の関係性を考える」

こちらからご高覧ください。

音楽パフォーマンス「silence /沈黙の窓」演者プロフィール:

・ニシジマ・アツシ
ニシジマ・アツシ(1965 年 3 月 12 日 – )は、京都市出身の日本の現代美術作家、サウンド・アーティスト。大阪芸術大学音楽学科音楽工学専攻卒業。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー (IAMAS)修了。80 年代半ばより実験音楽の制作、ライブ・エレクトロニック・ ミュージックによる演奏を始め、その後、音をめぐる多様な側面を探求し、そこで得た知見と日常に潜む事象をもとに飛躍的に結びつけることでサウンド・インスタレーションや平面・立体作品を制作している。200 年から 2012 年にかけて、アメリカの現代音楽家ジョン・ケージの生誕 100 周年イベント「John Cage Countdown Event 2007-2012」を主宰。 2001 年にアジアン・カルチュラル・カウンシルの助成によりニューヨークに滞在。 2014 年に文化庁新進芸術家海外研修制度によりベルリンに滞在。現在は京都を拠点に活動を続けている。(Wikipedia より)

・村井啓哲
1962 年東京生まれ。主に自作を含む電子回路/機器の反制御的操作によるサウンド・パフォー マンスを行う他、過去にいくつかの視覚的作品も発表している。またフルクサス参加作家のイベ ント・インストラクション、ジョン・ケージの非五線記譜法による非器楽曲などの解釈/演奏も 行う。展覧会/イベント等の企画者としては、1991 年から 1993 年まで P3 art and environment に於いてサウンド・インスタレーションを紹介する年次企画を担当、また 2007 年から 2012 年 まではジョン・ケージの生誕 100 年に向けたコンサートをニシジマ・アツシと共同で展開した。 その他、GALLERY360 ̊主催のフルクサス関連イベント、同画廊が発行するマルチプルの意匠等 にも関与している。(zeroso.jp より)

・Gak Sato
1969 年東京生まれ。ミラノで Right Tempo Records のディレクター、アーティストとして 10 年に渡り活動。3 枚のオリジナル・アルバム、Easy Tempo シリーズで 70 年代イタリアン・シネ・ ジャズのコンピレーション、リイシュー、多くのリミックスを手がける。近年はサウンド・アートの分野や、テルミン演奏家としても活動の幅を広げている。(ototoy.jp より)

企画プロデュース/テキスト: 森口明子(mui Lab PR &Brand manager)

Prev
Index
Next