インタビュー記事「京町家の魅力とテクノロジーとの調和」_京都市都市計画局 住宅政策課 企画担当課長 関岡 孝繕氏(後半)

2 Sep 2021 | Media

インタビュー with 京都市都市計画局 住宅政策課 企画担当課長 関岡 孝繕氏   2/2(後半)

 

9月2日に発表したmui Lab x 八清との取り組みである「スマート町家」のリリースを機会に、京都市都市計画局の住宅政策課 企画担当課長の関岡氏にインタビューをさせていただきました。町家や景観保全の対策のお話から、町家とコミュニティのつながりを歴史から紐解いていただき、さらにはテクノロジーのある暮らしについてのお考えについてもお聞きできました。
 
京都市で伝統や町づくりを支える関岡氏からの知識やお考えをお聞きでき、これからの未来を考えるヒントとしてぜひご一読ください。(こちらの後半記事では主に町家の魅力や、町家とスマートホームやテクノロジーとの調和についてです)
インタビュー記事前半
 
 

interview date:2021/7/30
interview & text:mui Lab 森口(M)
interviwee:京都市都市計画局 住宅室 住宅政策課 企画担当課長 関岡 孝繕 氏(せきおか たかよし)(S)

 

M) 関岡さんは町家に住んでらっしゃるとのことですが、実際どうですか?苦労や喜びや可能性など何か感じていることがあれば教えてください。

S) 町家は多目的で、うちも表が格子になっていて簡単に外せるので表の間が外に開きやすいんです。面白いエピソードとして、以前に町内会長をやったときに地蔵盆当日に雨が降りそうだということで、通りでお地蔵さんのお飾りができない。「あんたんとこ開けられるやろ。」と言われて、表の間を開放して提灯かけてお地蔵さんを飾って幕を張って設えたらしっくりきた んです。町内のおじいちゃん、おばあちゃんも集まって「そう言えば昔はそういう風にやって いたよね」といった懐かしい話が出てきたり、子供たちも畳で数珠回ししたりお菓子食べたりゴロゴロとくつろいでいる様子がいいなと思って。自分の家だけどまちに開いているというのは、町家だからできるんだなと思って。普通の家だとまちに開くというのはなかなかできないと思います。

M) 実はmui Lab でも、ある住宅パートナーとmuiのコンセプトを詰めた家を秋にリリース予定なのですが、しつらえの特徴として4面とも大きな窓でどの角度からでも見える。ただ外から中ははっきりとは見えない、だけど人がいるという気配はわかる。中から外はどの角度からでも見えてコミュニティや自然とつながりやすい。また、ある日その家が突然建っても気づかないくらい周りに違和感を持たせずに風景に溶け込むデザイン性にこだわっており、家の存在自体がコミュニティにひらいているという点を心がけており、今のお話ととても親和性があるなと思いました。

S) 確かに町家のことを考えると間取りは大切ですね。基本的に表通りのパブリックな部分と座敷などのプライベートな部分を、昔はお店だったりしたセミパブリック(中間領域)な部分とつなぎ合わせていて、内と外が緩やかに繋がっているのが町家です。格子や障子は外から完全に見えるわけではないけれど、中からはよく見える。なんとなく気配を感じるような空間の作り方をしています。完全に内と外をシャットアウトしないで中と外がなんとなく続いている。気 配、そして気配りも同じことだと思いますが、それらが自然に感じられて身につくのだと思 います。私の実家は子供部屋が個室だったのですが、ドアを閉じると完全に遮断されてしまう状況は本当に良かったのかな?と思います。今うちの子供たちはプライベートがないと思っているかもしれないけれど、意外と部屋に籠らないし、娘はいつもリビングで勉強しています。必ずリビングを通らないと上に上がれないので、顔を合わさないことがないというのがいいなと思ってます。

障子も雪見障子や猫間障子などいろんなパターンがあります。夏になると建具替えをして障子から葭戸(よしど)に変えて風を通しやすくして見た目にも涼しくします。あじろ(編んだトウや竹)も体感的にひんやりするので夏のしつらえとして使います。そういうものを通じて季節を感じるようにしていますね。自然と人と共生するというのが町家の工夫ですね。京都の町中では、夏は暑く冬は底冷えするのでいかに暮らしやすくするかを考えてます。特に夏の ことをよく考えていて、風通しをよくしたり、打ち水することで庭と道路の間に風の通り道が できる工夫もやってますね。

M) まさに 気配のデザイン、mui Lab が意識している「佇まいのデザイン」にも通ずるところです。

S) 格子だと中にいるかどうか雰囲気でわかるし、中の人の視線は感じるわけではない。中からは外の様子がよく見えますが、外から見られているわけではないので気にならない。だけど気配はわかる。デザイン的にも美しく機能的でもあり、人のことを考えた設計である、というのは mui と似ていますね。人の延長線上にあるというか、暮らしに調和しているというか、違和感なく一体となって浸透している。気配などもサポートしている。だから八清の西村さんも共感されてい るのではないかなと思います。


M) スマートホーム機器は米国を筆頭に大きな市場となりつつあり、日本でもそのうちスマートホーム機器を使っている人は増え続けています。そこで、
現状のテクノロジーの設計についてですが、今お話いただいた街の連続性や違和感の話とも繋がってくると思います。人間には行動習慣や癖があるわけで、普段言わないような固有名詞を呼び機械に指示を出すというのは人間史上異常な現象です。つまり人間のことを十分に分からずに開発された発展途上のテクノロジーに人間が合わせていくということが現在起きているのです。mui では、人間のナチュラルな行動を促すためにシームレスなデザインを心がけています。空間や自然に馴染むことは当然ながら、人の美的感覚も考慮して、ブラックスクリーンではなく木の自然素材でできたインターフェースと、テクノロジーが生み出しがちな格差を排除したユーザーフレンドリーなデザイン、そして行動の流れをブロックしないシームレスさ、 温かい家族のつながりを醸成する手書きメッセージ機能などを設計しています。概念的には calm technology(生活に溶け込む情報技術)の理念に沿っていますが、mui としては京都に流れる美意識や暮らしの営みに啓発され、そういったユーザーインターフェースやユーザー体験のデザインに落とし込んでいます。calm technology の概念自体は海外からですが、逆にmui Labは日本の伝統から学べるエッセンスを世界に伝えています。町家文化をご自身でも継承され、公的な役割を担われている関岡さんとして、町家とmui の融合をどう思いますか?

S) そこに全く違和感がないということだと思います。見た目も自然で、触ると木で、空間に馴染む、考え方にも親和性があるなと思います。自分たちの行動習慣を変えずとも、自然でシームレスに入ってくる機能ですよね。「ただいま」と言うことに反応して何かが動き出す。大切なことはそれが自然の流れであること。そうすると違和感なく受け入れられるのではないかと思います。

最近は木を内装で使うことも減ってきていて、クロスや石膏ボードを貼るなどて無機質になりがちです。町家は基本的に自然素材でできているのでそこに自然素材を使ったものが入るのは違和感がなくて良いですね。逆にプラスティック製品が入っていくのは違和感があります。素材感は大切で、気づかないうちに違和感のあるものが多々置いてある状態が多いです。

町家が美しいと思うのは変にゴテゴテなものをつけるというより、引き算の精神かなと思っています。できるだけ無駄なものを削ぎ落としてシンプルにすること。飾り立てない方がセンス が良いと思います。床の間も派手に飾り立てるのではなく本当にいい素材をそこに合うように生かして使う。花も華美ではない。建物自体をごちゃごちゃデザインしているわけではない。 そういう意味で、洗練されて限られた要素のなかでいかに個性を出すかということかと思います。町家は同じようなものが並んでいるように見えるけれど、意外に軒の出し方や格子のバランスなど、当時の大工さんや施主が自分のこだわりを出していました。特に座敷を見るとこだわりがわかります。ここに何故この木を使っているのかといったように、一定の制約の中で工夫をして良いものを生み出すという精神性がある。mui のデザインそのものもシンプルですよね。そのシンプルさが良い。多機能であるものもいいけど、ずっと自分のそばにあるものとして要らない、疲れるから。町家もシンプルだから、そこは合うのかなという気がしています。

M) 見た目の美観(エステティック)以外に、機能性ではどうですか?

S) テクノロジーはどうしても便利であることが価値であるといったことが重要視されてきたけれど、あえて手間を取らせる、ワンアクション取らせるなど、ちょっと面倒くさいといったものを残し たテクノロジー、便利さのみを追求していないものが私は好きです。便利な世界にいるとむしろ不便利なものに憧れる、あえて不便でいたい、というニーズは今とても多いと感じています。自然に触れることや土に触れるみたいに、普段しないことが人間の身体的、本能的な欲求としてあるのかなと思います。必ずしも便利なだけではなくて両方併せ持っているテクノロジー。 mui はそういう感じがするなと思います。スマートホームという便利でなんでも自動で動くものもありますが、あえて自分が能動的に暮らしに働きかける方が豊かなのでは?とも思います。それができる間はすれば良いし、できなくなることもあるので、身体能力に応じてうまく使い分けられる方が豊かではないかなと思います。住まいのことで議論する先生がよく言っているのですが、 住むということに対して、「住み心地」、「住みごたえ」、「住みご なし」、「住み継ぎ」という言葉があります。

住み心地というのは、与えられているといった感じで受動的な感じ。便利さと同じ。自分が能 動的に働きかける様子はあまり見られない。
住みごたえというのは、住まいに対して自分が関わるといった感じで、町家では能動的に働きかけないと暮らしが良くならない。
住みごなしというのは、さらに暮らしを良くするために住まいを使いこなしていく。心地よく能動的に、時には街に開いていく。
住み継ぎというのは、 次の世代へ引き継いでいくということ。

多少人が関わるという仕掛けがある方が生活を豊かにするのかなと思います。よくあるスマートホーム機器のように、便利すぎるとちゃんと機能しない時に腹が立つというのは精神衛生上どうなのか、というのはありますね。

M) 完璧なテクノロジーを目指せば目指すほど人間は退化してしまう。よくある論理としては、人間は家事などをやらなくなるとより創造性のあることに時間を使えて生産的だと言いますが、私自身にとっては家事などあまり脳みそを回転させずにぼーっと単純行為をしている時の方がアイデアが浮かんだりしてクリエイティブな時間になります。一見、無駄と思いがちなことを完全に削ぎ落とすことが人をよりクリエイティブで生産的にするとは思えないのです。

S) 私は体を使うという身体の感覚が大事だと思っていて、都会にいると頭を使うウェイトの方が 多くなりがちだけど、何かをしている時にふと思いつくとか、閃いたりするとかありますね。 どうしても脳にウェイトが大きくなると便利さを追求してしまう。人間はそもそも自然の一部 なので、自然の一部として暮らす方が生物として幸せなのでは?と思います。だから時々山に行ったり水辺に行ったりなどの欲求に駆られるのではないでしょうか。その方が戻ってきた時にもスッキリするし、普段の暮らしからそのパターンが取り入れられる方がリフレッシュできる。わざわざどこかに行かなくても暮らしながらリセットできる方が健全です。便利すぎるとかえってストレスが溜まって意外と寛げないということはあります。

M) 人間自身を十分に理解せずに開発しているというテクノロジーというのは発展途上であって、 今まさにその足りなさが露呈している感じがしますね。

S) 人が作ったものに囲まれて暮らしていると完璧なものに心が動かなくなります。住まい手に何かできる余地がある、余白があるから面白い。創造性を使える。DIY をする余白がある方が暮らしていく上で豊かさにつながる。多少でも自分が関わる仕掛けのあるテクノロジーが生活を豊かにすると思います。便利だときちんと機能しないから腹が立つ。住まい手が家に関わる、住み手が関われるということを積み重ねると愛着が湧いたり大事にしようと思いますよね。


M) 次に、スマートシティやスマートコミュニティ構想についてのお考えがあれば教えてください。

S) スマートシティやコミュニティというレベルではないのですが、テクノロジーが暮らしの中に入ってくる事例は多々見られる中で、最近、高齢者向けのスマートホームをいろいろな事業者が提案し実践し始めています。玄関を入ったら勝手に電気がつくなど暮らしを便利にする機能だけでなく、様々なセンサーで居住者の健康状態を感知する見守り機能を実装した高齢者住宅が出てきています。 以前は高齢の親を見守るための家電 (湯沸かしポットなどの利用状況を子に送信) などがありましたが、随分進んできたなと思います。親が元気にしているか遠くに居てもわかるということはいいことだなとは思っているのですが、一方で自分の知らないところで管理されているというのが親にとって良い気はしないのでは、と思ってしまいます。ニーズはあるのかもし れないのですが、自分の中では何かモヤモヤした部分もあって。便利で良いなあと思う反面、 何か寂しさもあり、いろいろな気持ちが混在してますね。

M) 能動的・受動的な話で言うと、高齢者が受動的にならざるを得ないからそうなるのかもしれませんが、見守りという名目で個人データが取られている。それがサービス改善につながれば良いという考え方もありますが、少なくとも暮らしている人に檻の中にいる感覚を持ってほしくはないですよね。

S) 言ってみればこの社会さえ管理されているとも言えるので、気が付かなければそれで良いのかもしれないですが。

M) 能動的なレベルを考えるというのは余白のデザインかもしれないですが、歩くと全てのデータが管理されるよりも、メッセージの内容でちょっと気になるな、塞ぎ込んでいるのかな、とか心の通い合うデザインの方がしっくりくる気がします。

S) 何らかの形で感覚的に繋がっている方が単にデータの転送でつながるというより人間味がありますね。そこなんだと思います。自動は自動でいいけど、伝える側と受ける側の双方向のインタラクションがあるか、心や気持ちが乗っているということが大切なのかもしれないですね。mui だったら自分の想いを乗せて(データのやりとりではあるけど)人間味があるかないか、温かみがあるかないか。データとしては一緒でも体験としては異なる。相手に意図をもって伝えていく。見えるものはデータかもしれないけど情緒がある。見えない相手が見えるようでなんとなく気持ちが伝わる。
究極は生きている今その時をどう過ごすかが大切で、会っているその時にいかにその時間を有意義に過ごすか。次に会える保証はない。一瞬一瞬だなと思う。普段,明日はあると思って生きていてその価値を忘れがちですが、なるべく瞬間を大切にすることを大切にしたいです。

M) いつ何があるかなんて若い人でもわからないですからね。お年寄りに常時「見守り」機能をつけたくなる気持ちもわかりますが、それは一方的で相手は望んでないかもしれない。全体性で見ると人の偶然性は計り知れないですからね。(偶然というのはある意味、運命でもあるというと意図において)

S) いつ何時、と言うのは本人も周りもそんなに不安になる必要はなくて、会った時にいかにその時間を過ごすかが大事ですね。気づかないうちに勝手にデータを取られているというのは双方向ではない。伝えようと思って伝える、相手が見えると言うことが大切ですね。

 

町家や景観保全の対策のお話から、町家とコミュニティのつながりを歴史から紐解いていただき、さらにはテクノロジーのある暮らしに対する素直な気持ちまで幅広くお聞きすることができ、とても有意義なインサイトとなりました。京都市が関岡氏のような魅力的な方に支えられていると思うと、mui もより良い暮らしをかたづくる一企業としてますます精進していきたいと鼓舞されました。